脳卒中発病(くも膜下出血と脳梗塞)について

はじめまして、MADIA(43歳・男)と申します。
私が経験した事とその後の日常生活について記載したいと思います。
私が経験した病気は「くも膜下出血」及び合併症の「脳梗塞」です。本当はブログに書くべきか迷いましたが、同じ経験をされてる方達のブログを見て大変役に立ちましたので、自分も少しでも情報提供出来ればと言う思いと自分の経験談として記載しておきます。

1:病気発病

2020年12月28日(月):多分朝6時前位

仕事に行くために起きようと思いましたが頭が痛い感じがしたので少しだけ二度寝しました。次の目覚ましで起きた時にベッドから立ち上がろうとすると、足に力が入らない?のかわかりませんが、立てずにそのまま転びました。家族を呼ぼうと叫ぼうとしましたが大きな声を出せる気がしなかったので壁をドンドン叩いて、来てもらいました。そこで声は出たので、救急車を呼ぶよう伝えて呼んでもらいました。救急車に乗るまでは意識があったりなかったりで、救急車に乗ってからは完全に意識を失いました。次に意識が戻り目を覚ましたのは数日後だと思います。結果として以下の診断がされました。

病名:くも膜下出血、解離性脳動脈瘤、脳梗塞

私の場合は後頭部側の延髄のところに大きい瘤が出来ていて、それが破裂して延髄と小脳にダメージを受けました。最初は頭が痛いという記憶があるのですが病気が発生してから記憶が曖昧な事もあったからか分かりませんが、今では頭が痛いという記憶がありません。どのような痛みだったかも全く記憶がありません。人間(?)というのは衝撃を受けた際に都合の良いように記憶を整理してるのかもしれませんね。脳梗塞についてはくも膜下出血後に発生する攣縮という合併症のときに脳梗塞が3個程出来たようです。ただ脳梗塞については全部隠れ脳梗塞(ラクナ梗塞)で障害も何もなかったのが不幸中の幸いでした。くも膜下出血前より糖尿病を持ってましたが、こちらはくも膜下出血には関係無かったようで良かった(?)です。

くも膜下出血による障害は下記の状況でした。ちなみに退院時の身体障害者の手帳申請は不可でした(障害が軽すぎるためらしいです)

[ 病気発生時の障害 ]

  • 意識障害(病院に到着時は意識が無かったです)
  • 運動障害(立てなかったので車椅子です)
  • 両手の痺れ(常に両手が痺れてる)
  • 右半身温痛覚障害(右半身の温度と痛みを感じない(ストレッチ系等の痛みは別神経らしく、これは感覚があります))
  • 平行感覚障害(バランスが取れないので立てない、眩暈がする、座っていても体が左に偏る等)
  • 高度嚥下障害(飲み込みが出来ない、しづらい)
  • 右半身痺れ障害(触ったり、一部痛みが発生したときに痛みの変わりに痺れが発生する)

[ 退院時の後遺症障害(2021年5月15日退院) ]

  • 両手の痺れ(右手だけ少し軽減した)
  • 右半身温痛覚障害(右半身の温度は相変わらずわからないですが、痒み(=痛み)を少しずつだが感じるようになってきた)
  • 平行感覚障害(屈伸とかが出来はするがしづらい感じがする。眩暈がする。疲れやすいかも・・・)
  • 高度嚥下障害(食パンとか一部食べづらい感はあるが、食べれない等は無いのでリハビリ自体(ST)なくなりました)
  • 右半身痺れ障害(触ったり、一部痛みが発生したときに痛みの変わりに痺れが発生するのは変わらず)

2:くも膜下出血の前兆

結果論にしかならないのですが、病気発生前の前日等に頭、肩こりがひどく湿布を付けていました。仕事がソフト開発でデスクワークのため、いつものような頭痛、肩こりだろうと言う判断で湿布を付けていましたが、これがくも膜下出血の前兆だということを全く理解出来ていませんでした。しかも数か月、又は年単位?で以前にも同じような頭痛や肩こりが発生していたのです。検査をしていれば・・・と思いますが後の祭りです。この記事を読まれてる方で思い当たることがあれば早くに病院で診察してもらうことをお勧めします。診察して何もなければそれでいいので見てもらうべきです。

3:病院

  1. 急性期病院(西湘病院)
  2. 回復期病院(神奈川リハビリ病院)

急性期病院は西湘病院というところで2021年12月28日(月)から2021年2月3日(水)まで38日間お世話になりました。正直入院して2週間立つ位までは記憶があったりなかったりしてます。結果論でしかありませんがくも膜下出血発生時に1/3は死亡、1/3は寝たきり、1/3で元の生活に戻るという言うようなことを医師より家族に説明があったようです。こんな事を言われると家族は相当なショックしか無かったと思います。本当に心配ばかり掛けてしまい申し訳ありませんでした。今となっては生きてるのが奇跡と思っています。担当して頂いた先生には感謝しかありません。しかも年末で帰省予定だったのを取り消してまでつきっきりで看て頂いたそうです。本当にありがたいです。後遺症障害についても現状は日常生活と仕事にも多分影響しないだろうと考えていますが、入院中に休職期間満了で会社から首を切られてますので実際には働いてみないとわかりません・・・。西湘病院さんではコイル手術をして頂きました。自分の瘤は延髄、小脳に影響するところでくも膜下出血時の5%程度しか発生しない場所のようです。しかも場所的に昔なら手術も出来ないところだったと聞きました。本当に恐ろしい病気です。私は色々幸運に見舞われました。後で記載する予定ですが「不幸中の幸い」とはこのことか!という位の幸運でした。

急性期病院では恐らくほとんどの患者さんが2週間程度で回復期病院に転院してリハビリをされる方が多いと思いますが、自分の場合は38日間も掛かりました。理由としては回復期病院で有名な神奈川リハビリ病院さんを希望したためです。正直2週間待ちました。病気が発生してから半年間が一番リハビリに良いと言われてるそうなので自分としては早く転院したかったのですが患者さんが一杯の状況で仕方ありませんでした。この記事を書いてるときは意識もしっかり戻ってる時なので希望したように書いてますが、実際には家族が選んでくれたのです。神奈川リハビリ病院を選んでくれて良かったです。

話は戻りますが自分の障害の中で「高度嚥下障害」が一番大変だったようです。くも膜下出血発生後、高度嚥下障害になりましたが「次は呼吸が止まる」と医師から説明があったようです。本当に家族には心配ばかり掛けて申し訳ない気持ちで一杯です。幸いなことに呼吸が止まることは無かったようで良かった。西湘病院さんから嚥下障害について、誤嚥を起こすと死ぬ場合があるから気を付けてと言われたのですが、どう気を付ければいいのかわからず不安でした。嚥下障害は飲み込みが出来ない等の障害で、自分の場合は入院して1か月位までは、30分に1回喉が渇く状態になってました。しかも最初の頃はペットボトルで水分を飲むだけで結構蒸せていました。他には喉がおかしいためか声が結構枯れてる感じでした。食事は入院してから2週間目位でおかゆなどの柔らかい食事になりました。それから少ししてから普通の白いご飯にして貰い、結果としては普通食まで食べられるようになりました。ST(言語聴覚士)さんからは嚥下は「食べまくって鍛えろ!」と言われてたので、飲み物とか出来るだけ飲むようにしてました。

回復期病院の神奈川リハビリ病院さんには2021年2月3日(水)から2021年5月15日(土)まで101日間お世話になりました。神奈川リハビリさんでは相当お世話になったと勝手に思っています。県立の病院ですが職員さんが約600名前後いるみたいです。以前は1000人以上いて赤字経営していたそうです。ここはリハビリ病院では有名で他県等から入院されてる方もいらっしゃるようでした。病院の紹介からとなりますが、ここでは学校の授業のように「時間割」制度となっており、リハビリは1日最大6時間(リハビリ授業単位でいうところの6コマ)あります。こちらの病院では脳卒中以外の患者さんにもリハビリをしていてマンモス病院です。簡単に箇条書きで書くとこんな感じです。

  • リハビリは1日最大6コマ。基本は40分単位ですが60分だったり、1日にPTが2回あったりする場合もあります。
  • リハビリは最大で6種類、PT(理学療法)、OT(作業療法)、ST(言語聴覚療法)、心理、体育、職能(復職や復学メインのリハビリ)※脳卒中等の患者の場合
  • 料金は一般的な収入の方で限度額適用認定証ありで約86000円と食事負担額(30日計算だと1日1140円=約35000円)で約12万ちょっとです(個室ベッドやアメニティ、テレビカードを希望する場合は別途追加費用掛かります)。現在の日本の法律(?)の中では多分最安価格で最高のリハビリを受けられます。支払いもクレジットカードが可能です。
  • PTの理学療法士さんは50人前後、OTの作業療法士さんは40人前後いますので、リハビリの職員さんには事欠きません。
  • 体育ではボール関連の球技を中心にプールや体育館、外での運動療法があります。
  • 職能では復学、復職の支援やPC等の日常生活のリハビリ訓練があります。
  • OTの作業療法では料理をしたりする人は包丁等の訓練もあります。
  • 神奈川県の免許センターにある検査用ドライブシミュレータと同一の機械があり、この病院で診断書OKもらった人は免許センターの適正試験で落ちた人はいないとの事。
  • 脳卒中の患者さんが日本の平均年齢より若い方が多い。そのためか全国平均の入院日数より平均入院数が短い。
  • 入院中の書類、主に傷病手当用書類(民間保険用の診断書除く)は入院代金に含まれるため、患者さんの実質費用は無料。
  • 厚木の山の中にあり、自然豊かで野良猫やはくびしん、猪、鹿、亀、鯉等の田舎で想定出来る動物は全部見られると思います。くまに注意看板もありますが、人が出歩く日中は、まず見かけたことがある人はいません。病院関係者でも自分では一人の方しかクマを見かけたことがあると聞いたことがありません。
  • 通院する場合のリハビリで体育と職能は無料。憶測ですがこれらは医療行為に含まれない為、お金を取ると医療違反になるからかも知れません。
  • 通院する場合のリハビリでお金が掛かるのは器具を使用する場合に掛かる(受付の担当者の話)。掛かっても1100円以内だそうです。
  • コロナ過での面会は30分。以前は時間制限もなし。緊急宣言時はもっと時間が短くなります。
  • 神奈川リハビリ病院では患者さんの看護が厳しく、フォローが手厚い。患者が怪我をする。患者が転ぶ等が起きると始末書となり、病院関係者に通知メールが届くようで患者ファーストになってます。

神奈川リハビリ病院さんでは、日常生活が出来るレベルまで訓練して貰いました。他の病院は知らないのでわかりませんが、入院した限りではここを上回る病院は無いのでは(?)と思う位大きくて、フォローが良かったです。

4:リハビリ

今だから言えることなのですが、急性期病院で目が覚めた時は手が縛られてました。全く記憶が無いのですが、どうやら自分は病院で暴れたらしいです。しかも病院のベッドを足で壊したみたいです。その影響だと思いますが右足踝周辺がえぐれてて病気を発病してから5か月過ぎても見た目の傷がまだ残っています。右半身は痛みを感じないので痛みがわかりません。ですが5か月も傷が残るのは相当な怪我だったと思います。自分が自分でした事とは言え、自業自得な行為で後悔しかないです。さて本題に戻ります。最初病院で目が覚めた時はベッドの上にいて色々と管?が体についたりしてて状況がわかりませんでした。時間が立つに連れて状況を把握出来るようになりましたが、入院してから2週間位は意識も曖昧でした。最初にわかったことは立てない。移動するには車椅子で移動するしかないと言うことを理解しました。そしてそこからまずは立つリハビリから始まりました。それと右半身に温度を感じないので半身の温度検査をされて氷や熱くしたタオルを触ったりして、リハビリ兼検査?をしていました。入院して2週間位だと思いますが、それ位から栄養を管?で取っていたのを自分の口から栄養を取るようになりました。ここでST(言語聴覚士)さんから嚥下障害だということを聞きました。そして誤嚥で肺に入ると死ぬ可能性もあると・・・。これ位の時期は意識も戻ってましたので、ショックを受けてました。しかし物を食べないと生きていけないのですから食べました。どうやって食べるか、どうやって飲み込むか、飲むときの方法や喉?の鍛え方も教わりました。今まで出来た事が突然出来なくなる。今まで考えた事すらなかったのですが、リハビリの先生に言われるがままにリハビリを継続していきました。自分の場合は延髄、小脳にダメージを負ったため、元から運動障害は大丈夫との事でした(自分は退院してから知りました)。だけど実際立てない、歩けない状態だったので必死に訓練をしました。日にちが立てばたつ程、使ってない機能がどんどん退化するようです。実際問題足とかの筋肉もかなり衰えていたようです。神奈川リハビリ病院に転院して1か月ちょっと過ぎてからは病院の外を杖で歩く訓練をしましたが、山の中にある病院のため、坂道が沢山あります。ちょっとした坂道を登ったら筋肉痛です。しかも2日連続で筋肉痛。PT(理学療法士)さんに言って足に重りを付けてもらうことになりました。片足に0.5キロずつ、次第に1キロに変更もしました。このお陰もあって筋肉痛にはならなくなりました。詳細については下記に記載しますので興味があればご覧下さい。

  • 運動障害

くも膜下出血発生時は立つことすら出来ませんでしたがPT(理学療法士)のリハビリ先生の訓練の元、現在では今まで通り歩けるようになりました。急性期病院の西湘病院入院中は約1か月ちょっとですが、その間は立って少し歩ける程度でした。この頃は車椅子で移動が主でトイレとかは全て車椅子です。その後回復期病院の神奈川リハビリ病院では劇的に回復しました。車椅子→歩行器→杖→機材なしの順番でのリハビリでした。歩けるまでの過程はやはり、移動手段や見た目的にも障害が回復するのがわかりやすいので一番印象的でした。器具無しで歩けるようになった時に病院の外周の坂を登ったのですが、1回登っただけで筋肉痛になりました。翌日も登ったらまた筋肉痛に・・・。人間体を動かさないと本当に筋肉がなくなるんだなと実感しました。この時の筋肉痛対策として足に1Kgの重りを両足につけてトレーニングをすることで解決しました。筋肉痛になったときですが、歩けるは歩けてましたが坂とかを登るときに足のモモとかが上げづらい感がありました。これは筋肉が無くて上げづらい感が出ていたようです。筋肉がついたらモモが上げづらいという感じはなくなりました。病院でのリハビリは日常生活の動作を訓練しているためだと思うんですが、退院してから発覚した障害?もありました。それは屈伸がしづらい、座る動作もしづらい。これは「しづらい」感じがあるだけであって、動作としては出来ます。でも「やりづらい」感じがあり、動作として少しゆっくりな動作になってしまいます。恐らく、体を動かさなかったのでその影響かと思います。こちらは動作としては出来るので退院してから自主訓練として毎日屈伸してリハビリを継続中です。

  • 嚥下障害

急性期病院に入院したときは2週間位経過するまでは意識があったり無なかったりと記憶が曖昧です。2週間位だっと思いますがその頃から点滴?での栄養補給からおかゆ等の柔らかい食事に変更になりました。このときにST(言語聴覚士)の先生より食事等の飲食をするときに間違えて肺に入ってしまう「誤嚥」になってしまう可能性があると聞きました。これは飲食したものが肺に入ってしまう現象です。誤嚥が発生すると死ぬ場合があるから「よく噛んでゆっくり食べる」ようお話がありました。入院して意識がやっと落ち着いてきた時にこの話を聞いたのですが食事をするたびに恐怖でした。しかも嚥下障害になって30分程度に1回喉が渇く、声が病気前と違って枯れている。飲み物を含む食べ物を食べると喉に何となく引っかかる感じがしてました。自分の場合はこの嚥下障害が一番ネックだということを退院してから家族に聞きましたが、嚥下の次に発生する障害が「次は息が止まります」と言われてたそうです。なので嚥下障害だけで次の障害が起きなくて良かったと今でも思っています。自分の場合の嚥下治療法は「食べまくって喉を鍛える」と言われました。要は一日3食キチンと食べて鍛えるのが基本ということでした。後は補助的な訓練として500mlペットボトルの蓋に穴を2個開けてストロを2本通して、ペットボトルには水を入れてるだけで開けた穴からストロで酸素を吐く、吸い出すといった簡易訓練機?で繰り返して訓練してました。このあたりの訓練が良かったのか急性期病院(急性期病院とは生命維持を主とした病院)では38日間お世話になったのですが、回復期病院に転院する頃には急性期病院での食事がおかゆから普通の白いご飯に変わりました。これで食事を採ることに困るようなことは無くなりました。そして回復期病院の神奈川リハビリ病院では約1か月間ST(言語聴覚士)の先生の検査を受けて、食事も柔らかい食事(柔菜)となり枯れ声も少なくなり無事訓練が終わり、日常生活で問題が発生することは無くなりました。障害としては認められないという状況にはなりましたが退院しても「パン」が一番食べづらいです。パサパサした感が喉に引っかかり、食べづらい感が未だにあります。食べづらいと言っても食べれるので病院でも退院してからも毎日「パン」を食べてます。恐らくですが回復期病院では「パン」を毎日食べてましたので鍛えられたんだと思います。

  • 痺れ障害(正式名称不明)

私の場合は両手が常に痺れている。右半身が触ると痺れる。「触ると痺れる」のは右半身は温痛覚が無いため、痛みの代わりに痺れが発生しているようです。温痛覚が無いと記載しましたが回復期病院で退院1か月位前辺りからか右半身に痒みが発生するようになりました。「痒み」とは「痛み」の一種らしく希望が見えてきました。結果としては退院時には右半身の一部を自分でひねると痛みを感じるようになりました。でもこの痛みは正常の左半身と比べると感覚が違っていて、まず痛みの感覚が以前の感覚と違ってました。この「痺れ」についてですがどの「痺れ」も痺れてるだけで病気前に出来ていた動作等は全て出来るため、麻痺でなくて良かったとしか言えないです。本当に良かった。。。後、痺れにも種類があるようで筋肉痛やストレッチ等行ったときに現れる痛み。これは自分の右半身でも感じるようで、このあたりの神経は別神経となってるようでした。「痺れ」に関するリハビリ訓練は急性期病院の西湘病院、回復期病院の神奈川リハビリ病院では主だったリハビリ訓練はありませんでした。ただ、神奈川リハビリ病院でのPT(理学療養士)でのマッサージを受けた際に右手の痺れが少し軽減されました。他の病院でのリハビリ訓練は何をするのかわかりませんが、日常生活の動作訓練を優先するため痺れに特化したリハビリ訓練は少ないのかも知れません。余談ですが右半身に痛みが無いとやはり少なからず不便を感じました。入院中に靴擦れか何かで右足の爪から血が出ていることがあったんですが、痛みを感じないので全くわかりませんでした。こういうのは気遣いをしないといけないようです。さらに余談ですが退院後のスーパーでカートを押してた時に右足のスネをカートに間違ってぶつけてしまったのですが左半身と同じ感覚の痛みを感じました。痛いのですが治ってきてるという感情が出てきて、嬉しいやら痛いやらで複雑な気持ちでした。ちなみに退院してからも痛みに関しては少しの痛みは未だに感じないです。唯一のメリットとしては採血等で注射を打つときとかは全て右手でしてもらうようにしてました。何故なら痛みを感じないからです。このことを入院中に看護師さんに言うとめっちゃ笑われましたね。まぁ、そうでしょうね。。。

  • 温度障害

上の痺れ障害の欄でも少し書きましたが、自分の場合は右半身で温度を感じません。暖かいお湯や氷を触っても何も感じません。この障害については急性期病院の西湘病院、回復期病院の神奈川リハビリ病院では何もリハビリ訓練はしませんでした。やはり日常生活のリハビリを優先しているためでしょうが、検査のみって感じですね。リハビリは何もありませんでしたが退院後に炊飯ジャーの窯に誤って右手で触ってしまったことがありました。すると「熱っ」と感じたのです!正常の左半身と同じ感覚でです。思わずもう1回右手で窯触っちゃいましたよ。。。嬉しい反面、馬鹿なことをしてしまった。

  • 平行感覚障害

くも膜下出血が発生したところが延髄、小脳に影響するところでしたので自分の場合は平行感覚をやられました。と言っても自分の場合は軽い方で人によっては座ってても気持ち悪くて歩けない方もいらっしゃるようです。自分の病状としては風邪の時の眩暈を少しきつくした感じで、クラクラ感が常にある感じです。あとは急な進路変更等(急に後ろを向く等)を行うとクラクラ感が強くなります。ただ眩暈・クラクラ感があっても吐いたこともないし、それが影響して何かが出来ないということはありませんでした。これは退院した今でも病状は変わらないかなーと思います。退院した今ではバス、電車もリハビリで乗りましたがやはりクラクラ感があります。現状残ってる後遺症障害としてこの障害が一番治ってほしいですがうまいこと行かないですね><。平行感覚のもう1点の障害としては今は多分無くなりましたが座ってるときでも左に体が傾くというのがありました。当然ですが倒れそうになる前に気づいて位置を再調整していました。これは骨盤が弱ってるということで、入院中から自主トレで骨盤の運動をしていました。今でも毎日ストレッチの1つとして骨盤を左、右とで回すよう行っています。他の後遺症にも言えますが脳卒中等で脳細胞が死滅したり、ダメージを受けるとそこの部分の脳細胞が機能しなくなります。リハビリでは他の脳細胞に代替機能を作ってもらうためにリハビリをしている方が沢山いると思います。自分の場合は嚥下障害が特にこれに該当します。脳細胞の代理細胞のお陰で食べ物も食べれるし、誤嚥が発生しないんだと思います。ちなみにですが上手く脳細胞が代替細胞を作ってくれても使わないとその細胞はすぐになくなるそうです。何が言いたいかと言うと折角出来た代替細胞が、使わないと消えてしまうということです。ですのでリハビリは継続していく必要があります。

  • まとめ

リハビリ訓練は病気発症後半年内が「一番有効」らしいです。自分の場合は後遺症としてはかなり軽い部類に入るそうですが、敢えて退院を出来るだけ先延ばしにしてきました。正直言って入院すると仕事してないので傷病手当金が入っても2/3しか入らない(会社員の方の場合)。最も安くしても入院代金は約12万ちょい掛かるのでダブルパンチです。入院中、自分のフロアは50人前後のところだったんですが、退院時に自分より長く入院している人は一人しかいなかったです。そうです。みんな金銭的な理由や「早く家に帰りたい」と言う人がほとんどでした。ここで知ってもらいたいのは「リハビリ訓練は病気発症後半年が一番有効」ということです。後遺症障害は人それぞれですが、将来の生活を考えると出来るだけ長く入院して「リハビリ訓練」を優先することをお勧めしたいです。自宅でもリハビリは出来ると言う方もいらっしゃいましたが専門の病院でリハビリが良いです。日本では退院してしまうと入りたくて基本入院出来ない仕組みになってます。これらは我が身を持って経験したことです。お金は掛かりますがリハビリを優先すべきだと思います。後は結果論ですが、病気になるのなら若い方がいいです。後遺症があったとしてもリハビリで治る可能性があるからです。あくまでも個人的な偏見ですが高齢になる程障害が多く、リハビリしても治りづらいと言う感じを回復期病院で感じました。病気発症なんて選べるはずがないのでおかしな話ではありますけどね・・・。

5:持病について

私はくも膜下出血発生時前より「糖尿病」を持っていました。この病気はもう7年とか8年位前からの付き合いです。くも膜下出血発生時にはコントールがうまく出来ておらずヘモグロビンAC1が確か9位でまずい状況だったと思います。薬も飲んでいたのですが後〇〇してからと食事制限を怠るようになっていましたが、今回くも膜下出血発生により血圧や血糖値のコントロールも更に厳格化する必要があります。糖尿病が関係あるかわかりませんがくも膜下出血発生時にCTとかMRIをとって「隠れ脳出血」が2個見つかりました。これはくも膜下出血発生時にできたものではなく、それ以前に出来たもののようです。脳にダメージは無いと言え、これはまずいです。年齢も40台です。現状、くも膜下出血発生、隠れ脳梗塞3個(くも膜下出血の合併症)、隠れ脳出血2個あります。ある意味、脳卒中と言われる病気のオンパレードです(´;ω;`)ウゥゥ。医師からも言われましたが普通は40台では無いのが当たり前。今後は相当頑張らないと言われました。。。はい。生活習慣を見直してます。退院してからは毎日体操、ストレッチとウォーキングで約1時間体を動かしてます。そして入院時から退院して約1か月立ちますが体重も65.5キロをキープしており、BMIも正常値です。血糖値は入院時は9割方正常値で、退院後の検査でも血糖値もヘモグロビンACも5.3で正常値です。これを維持していきたいです。後は効果があったかわかりませんが糖尿病になってから麦茶を毎日相当飲んでました。これが功をなしたかわかりませんが心筋梗塞にはなってないので今後も継続していきたいです。余談ですが退院してから服、ずぼんが大きすぎて買い換えました。これは入院前と退院後の体重で17kg以上減ったからです。我ながら太りすぎだったんだと後悔しましたが後の祭りですね。

6:病気になる前に用意しておくべきこと

病気になるか、ならないかは正直わかりません。しかし何かあった時用に民間保険に加入しておくべきだとくも膜下出血になってから常々思うようになりました。自分の場合は幸いなことに20台のときに入った終身でない医療保険兼生命保険付きに入っていました。これは家を住宅ローンで買っていましたので働けない状況だとまずいと思って入院180日まで入院給付金1日1万円、脳卒中一時金が出る保険に入っていました。ちなみに日本以外の国では民間の保険はギャンブルだそうです。くも膜下出血になって139日間入院しましたが民間の保険は、自分の場合は現状はプラス(支払った金額以上のリターン)ですが、恐らく定期預金していたほうが病気にならない人のことも考えると正解だと思います。ただ貯金が無い人は民間保険に加入すべきだと思いました。病気になって入院してから気づきましたが最低でも下記の費用が入院費用として掛かります。

  • 平均的な年収の方の1か月の入院費用:限度額適用認定証ありで約86000円と食事負担額(30日計算だと1日1140円=約35000円)で約12万ちょっと
  • 人によってはアニメティ代、個別ベッド差額代、患者さんのテレビカード代等
  • ご家族の方のお見舞いのための交通費等

上記を見るとわかると思いますがこの費用と月々の固定費等の支払いが各家庭でもあると思います。普通の人は入院すると毎月赤字になると思います。これらの事を考えると入院費用を医療保険の入院給付金を5000円の医療保険に入っておくと抑えれば入院費用は賄えると思いますが、家庭での毎月の支払は会社員の方であれば傷病手当金が貰えますので給料の2/3なので赤字になると思います。ですので安全を考えるなら入院給付金は1日1万以上が良さそうです(あくまでも個人的な主観です)。あとは病気や後遺症によって入院日数は違います。自分が経験した病棟は脳卒中の方が9割方の病棟でしたが2,3か月の入院で退院される方が多い印象でした。特に脳梗塞の方が多くいられたようで脳梗塞でも軽い人は1か月位で退院されてました。これらの事を加味すると貯金で賄えるなら民間保険に入らなくても大丈夫そうに思えました。と言うより9割の人が元を取れないと感じました。

後はもう1点。健康保険についてです。日本の健康保険は優秀だと思います。どんなにお金が掛かっても1/3しか掛からない。しかも医療費が一定以上の金額になると限度額まで払えば、残金は払わないで済む制度があります(高額療養費)。私のくも膜下出血はカテーテルによるコイル手術だったのですが医療点数で言うと約45万点でした。これは10割計算で言うと手術代金だけで450万円ということになります。これが高額療養制度の限度額証明書を使って約13万程度の金額でした。本当に日本の制度に救われた感じです。全額払えと言われたら死にかけてるのに破産級です。ちなみに東海大学病院と言うところで脳腫瘍の手術を受けられた方は、10割負担額だと1千万近く掛かったそうです。さて話を戻しますがどの健康保険でも法定給付金と言われるものがあります。その中でも会社員の方なら傷病手当金というのが条件が整えば貰えます(基本入院する程の怪我、病気なら出ると思っていいと思います)。これで会社を休んでも最大1年半年間は給料の2/3が貰えます。そして加入されている健康保険によっても違うのですが健康保険組合には、保険組合独自の「付加給付金」なるものがある場合があります。私の場合はITSという健康保険に加入していたのですが付加給付金で「一部負担還元金」と言うのがありました。これは簡単に言うと食事費用を除く医療費で2万円を超える医療費を払うと後で2万円を除いた全額が支給される制度です。このような独自の制度がある場合がありますので、病気になる前にご自分の健康保険に付加給付金があるか確認された方が良いと思います。自分の場合はこれがあるため、入院費用が半額以下になりました。さらに縁起が悪い話となりますが加入されている健康保険によっては埋葬料の給付金額も違ったりするので、ご確認されると良いと思います。以外とこの給付金を知らない方が結構いるらしく、未請求のご家族の方もいらっしゃるようです。

7:運転免許再開・診断書

運転免許ですが脳卒中になると免許停止処分となり、運転を再開させるためには条件があります。私の場合は回復期病院で神奈川県運転免許センターと同じドライブシミュレータがあり、運転免許の検査評価が可能でしたので入院中に診断書を書いて頂きました。脳卒中になられた方で頭を開頭手術された方、てんかんの薬を飲まれてる方、職業運転手の方は早くても2年間は運転免許を再開することが出来ないようです。運転を再開させるには「適正検査」を受ける必要があります。適正検査を受けるためには医師の診断書が必要となります。私の場合は入院中に誕生日を迎えて、免許更新日がきました。入院中に免許更新で更新期限が切れると退院後1か月以内に適正試験を受けることで受かったら免許更新を行うことが出来ます。適正検査に不合格、又は医師の診断書に運転不可と書かれている場合は、3年以内であれば適正検査をうけるだけで免許が戻ってきます(勿論適正検査OKにならないとダメです)。入院中に怪我で首から下が動かなくなった方がいらっしゃったのですが、体が動くようになってドライブシミュレータの検査の話を聞くとどうやら脳卒中と他の患者さんとでは検査内容が違うようでした。自分は脳卒中の人向けのしかわからないので、脳卒中の方向けの免許更新について記載します。

神奈川リハビリ病院で、運転免許を再開させるためにはOT(作業療法)と心理の科目で検査を受ける必要があります。恐らくですが運転免許を初めて受ける方位の心持ち?があって運転に支障がない方だけに検査を受けさせているようです。入院中にOTのリハビリ先生に聞いたところ、入院中に運転免許の検査を受ける人は久しぶりということでした。現状神奈川リハビリ病院ではほとんどの方が退院して半年とか2年後とかに通院で運転免許の検査を受けてるようです。自分の場合は後遺症が軽いのと免許更新日が過ぎたこと、病気発生から5か月程度過ぎた時期でしたので何とか入院中に検査を受けさせて頂きラッキーでした。

神奈川リハビリ病院では神奈川県の免許センター(二俣川)に対してドライブシミュレータ等の指導も行っていたそうで、神奈川リハビリ病院での運転検査に合格した人は、免許センターでの適正試験に落ちた人はいないそうです。そして運転免許の適正試験の合格判断は県毎によっても違うらしいです。聞いた話では神奈川県は厳しい。東京都はまだいい方と聞きました。これには検査に用いるドライブシミュレータが免許センターによって違うからかも知れません。神奈川リハビリ病院では神奈川県の免許センターにあるシミュレータと同じ三菱プレシジョンのDS-7000Rをドライブシミュレータとして導入されており、ホンダ製のドライブシミュレータより難しいそうです。実際にドライブシミュレータで運転してみましたが画面酔いしました。性能は良いと思うのですがリアルすぎて画面酔いする人が沢山いるそうです。このシミュレータを使って運転検査をされるのですが実際に免許センターでの検査は2つしかありませんでした。1つは瞬間的に画面に文字が現れたらボタンを押して反射神経時間チェック?をして表示された文字を4択から選びます。後は信号と同じ青と赤が表示されたらアクセル、ブレーキを素早く行う検査のみです。これで車の適正試験は終わりです。自分は普通二輪車の免許もありましたので二輪車の適正試験も受けてきました。これは2輪車(400ccかな?)に跨り、ハンドルを吹かす、ブレーキを握る、バイクを起こす、スタンド立てる、外すを行うだけでした。バイクのエンジンは掛けませんでした。適正試験は全部で15分も掛からなかったと思います。自分の場合はこれで運転免許の適正試験に合格しました。当日に免許更新は出来たのですが、医師から貰っておいた診断書を確認するため1か月後に結果を連絡するとのことでした。免許は更新済みでしたが「車に乗るのは結果が届くまで控えて欲しい」旨のことを言われました。控えるなら更新した意味は?とは思いましたが、結果が届くまで待ちました。そしたら適正検査を受けてから1週間も立たないうちに運転可の連絡(封筒での連絡)を頂きました。運転可となりましたが何とも変な運転免許の更新だなと思いました。

8:ご家族の方の手続き等の心構えについて

普通の人は対応出来ないと思いますが一応書いておきます。病気で緊急手術をするときにご家族の方に対して、病院側から色々な書類のサインを求められます。当然と言えば当然ですが生命に関わる書類が多いです。その中で気になったのが「差額ベッド代金」に関する書類です。これは個室等のベッドを有料だけど使いますか?という書類です。普通に考えてご家族の方は不安で一杯の中、色々な書類のサインを求められたら何も考えずにサインするだけになっていると思います。自分の場合もそうでしたが家族の人がサインをしていました。これにサインすると有料の個別ベッドを病院側が任意で使用させたりすることが可能となります。病院によってベッド差額代金は違うと思いますが基本高いと思った方がいいです。仮に1日5000円の差額ベッド代金が発生すると1か月30日計算ですとそれだけで15万円掛かります。この金額ははっきりいって入院費より高いです。病院も商売だから儲けないといけないのはわかります。しかしこの金額は普通の人は払えないと思います。一般的な収入の方で限度額証明書を使った場合の1か月の入院費用は最低でも12万円位掛かります。これに差額ベッド代金の15万掛かると・・・家計は相当厳しいと思います。私は回復期病院に入院してるときに約100日入院しましたが、有料の差額ベッドをずっと使用してる人は一人しか見てないです(言っても50人程度のフロアで見た限りですが)。要は民間の医療保険に加入されてる人でも差額ベッドを使う人は少ないと思います。ほんとんどの人は入院された時点でサラリーマンなら傷病手当貰っても入院費用もあるので毎月赤字になる人がほとんどです。自分は民間の医療保険に入っていて毎月傷病手当、民間の医療保険の入院給付金、健康保険の一部負担還元金で一月に20万円以上のお金がプラスになる状況でしたが個別ベッドを使う気にはなれませんでした。自分の将来のためや当面の生活費のためなどに残しておきたいからです。ここで伝えたいことは費用を抑えたいのであれば、金銭的に余裕があっても個室ベッドの使用に承諾してしまっても後から変更出来ますので、変更することをお勧めします。

そしてもう1点は「アニメティ代金」です。自分は急性期病院で38日間入院しました。上にも書きましたが入院時に家族の方に対して、病院側から色々な書類のサインを求められます。自分の場合はこの書類の中にアメニティ代金の使用有無の書類が含まれていたようです。アメニティは病気になって動けない等ありますので最初は必要経費だと思います。しかしある程度回復出来たのならご自分で服や歯ブラシ等を用意された方が安いです。これも病院によって違うと思いますが自分がいた急性期の病院では一月に約7万位掛かりました。これも馬鹿にならない位の金額です。急性期病院では生命を助けて貰って、担当して頂いた医師や看護師さんには何の不満はありませんが、病院側のやり方には満足していません。言い方が悪いようですが死にかけてるところにどさくさに金儲けをしていると言うイメージしか湧きませんでした。何度も書きますが一般的な収入の方で限度額証明書を使った場合の1か月の入院費用は最低でも12万円位掛かります。これにアメニティ代金が7万とか掛かるとか高すぎです。勿論アニメティを用意出来ない方等いらっしゃいますからこのサービスを必要とされてる方もいるので要らないとは言いませんが、入院中の医療費と同等位の費用が掛かること自体酷いサービスと私は感じました。

なんだかんだで病院側のサービスに不満を書きましたが、病院も商売ですから当然と言えば当然なのかも知れません。私が聞いた話では病院は3か月入院されると医療点数が下がり、収益が下がるようです。ですので回復期病院とかで3か月すぎると退院をされる方が増えるのはこれが要因の一つでは無いかと思います。また個室ベッドやアニメティ代金、テレビカード代金等が病院の収益の1つのようでした。

9:様々な幸運について

自分で言うのもおかしな話ですが私はくも膜下出血の病気になってから、相当運が良かったことを感じました。具体的には以下のような事がありました。人によっては見方が違うとは思いますが、私の場合は運が良かったと捉えています。

  • くも膜下出血発生前日(2020/12/27)に、静岡県の三嶋神社にお参りにいってました。現在もそうですが当時はコロナ過で初詣などは早めに行こうなどの話題が出てきており、それで早めの初詣に行きました。しかもこの時、家族を車に乗せて自宅の小田原から私が運転していました。くも膜下出血がこの日に起きてたらと思うと恐怖でしかありません。本当に運転中にくも膜下出血にならなくて良かったと思いました。
  • くも膜下出血発生時に家族に助けを呼べたこと。これは少しでも早く病院に行くためには必要なことでしたが、当時私は声を出せる気がしなかったので、壁を叩いて助けを呼べました。
  • くも膜下出血は恐ろしい病気です。どんな人でも少しは耳にしたことがある病名だと思います。この病気は1/3程度しか元の生活に戻れないようです。残りの2/3は亡くなるか、寝たっきりの状態になるそうです。その中で生き残れたことが本当に良かった。
  • くも膜下出血の後遺症は様々ですが、私の場合は後遺症はあるものの日常生活は今まで通り出来る事、恐らくデスクワークの仕事も出来そう(退院して自宅リハビリ中)な位軽く、身体障害手帳も申請出来ない程度の障害でした。具体的にはくも膜下出血発生前に出来た事は、病気後も全て出来ると思います。
  • くも膜下出血発生時ですが私は会社を転職して丁度1年後のことでした。病気後139日間も入院しており、この間に会社より「休職期間満了による自然退職」となり無職になりました。このときに健康保険の傷病手当金を頂いてましたが、傷病手当金は会社に1年間在職してないと会社退職後は貰えないようです。1年間在職していため、現在でも健康保険から傷病手当金を頂けてるのは本当に運が良かったです。
  • 健康保険はITS健康保険組合に加入していました。この健康保険組合は独自の付加給付金があり、食事代と医療費2万を除く、実費を全額一部負担還元金として支払ってくれる制度があります。これがあるために入院費用が半額以下となりました。
  • 民間の医療保険に加入しており、入院給付金(1日1万円)は180日間、脳卒中発病による一時金が入る保険に加入していました。これがあるため入院しても一月の収支はマイナスにならずむしろ、月20万円以上のプラスになり助かりました。20台の頃に加入した保険ですが入院給付金5000円にしなくて良かったと思いました。

10:今後の生き方、方針について

私の場合はくも膜下出血により攣縮の影響で隠れ脳梗塞が3個あります。さらにくも膜下出血時の検査でCTやMRIで隠れ脳出血が2個見つかりました。くも膜下出血の後遺症以外は現状では害はありませんが、今後の予防としても生活を改める必要があります。入院中は病院での管理下であったため、何も気にすることはありませんでしたが退院してからはそうはいきません。入院中と同じように体調管理を徹底するよう心掛けるために1日に1時間は体操、ストレッチ、ウォーキングするようにしています。食事も塩分6g以下、カロリーも1600カロリー以下になるようにしてます。私は元々糖尿病を持っていてカロリー制限をしていました。しかしくも膜下出血発生時には血糖値とかヘモグロビンAC1は最悪な状況でした。なので次怠ると「死ぬ」という心持ちでやろうと思ってます。

私の場合の後遺症障害は軽い方だとは思いますが、頭が常にクラクラして眩暈がするような感じが出ています。これがあるために何かが出来ないということはないのですが、これを一番に治したいです。正直言って後遺症が軽い方とは言え、定年60歳ルールがどんどん変わる中、60歳以降も働けるかというと自分の体調(特にクラクラ感)では難しく感じています。ですので今すぐは無理とは言え、「不労収入」にシフトすべきだという考えが強くなっています。幸いなことにくも膜下出血発生前から株でシステムトレードを行っています。これは人間の感情を統計的に調べて有効性がある売買方法を見つけて、そのルールに乗っ取り株の取引きを行うというものです。この手法のお陰でシステムトレードの合計収支はプラスになっています。今後はアフェリエイトや株のシステムトレードで収支を稼ぐようにしたいと考えています。勿論そんなことですぐに生活費を稼ぐとかは出来ませんので、その領域に達するまでは肉体を使ってお金を稼ぐ必要があります。そうするとまずは復職をせねばなりません。私は会社を自然退職してますので就職活動からです。でもまだ退院して1か月ですぐに働くことは難しいです。今後の方針については、まずはリハビリに集中して2021年9月か10月に復職(再就職)出来ればと考えてます。仕方無いことではありますが脳卒中に一度なってしまうとどう考えても再就職に不利です。ですので前にいた会社からは確約ではありませんが社会復帰したら、お互い納得すれば再雇用してもらえるという定型文のお返事を頂いたので、前の会社に戻れるよう頑張ろうと思ってます。あまり言いたくは無いのですがこの会社は「ブラック」です。有給は法律通りに支給されませんし。。。でも脳卒中だと他だともっと厳しいので戻るという理由です。浅はかですかね。。。

人によって再就職や仕事復帰するタイミングは違うとは思いますが、自分では仕事復帰するまでのルールを作りました。これらが出来れば自分の中の目標として健常者と変わらない扱いをしてくれないかなと期待しています。

  • 仕事がITのデスクワークのため、最低でも8時間以上PC操作が出来ること
  • 仕事場までバス、電車で片道2時間以上を想定しているため、2時間は最低でも立ってバス、電車に乗車出来ること
  • 富士山の5合目から6合目まで登れること(一般人と変わらない体力があることを証明するため)
  • 自分はITでSE職のため、病気後にAIのパイソンを習得すること(病気後に最新の言語を学習出来ることを証明するため)

色々上記に書きましたが一番の目標は、それはやはり「両親より生きる事」。入院中は家族全員に迷惑を掛けてしまいました。どのご家庭でも同じでしょうが親より先に死ぬのはほとんどの場合は無いと思います。私は結婚もしてないし、子供の顔を見せる事も出来ません。唯一出来そうなのが長生きして両親より生きる事。これが入院してる間、一番に思ったことです。そして次の目標は自立出来る事。これは生活費を稼いで生きていけることを指しています。そして最後の目標は弟も1級レベルの病気を持っていますが国民年金に入って無かったため、障害年金等を貰えません。ですので生活していけるお金、又は方法を見出して残したいです。これらが出来れば私は恐らく満足です。今後についてはこれらを目標にしていこうと考えてます。

11:退院後の後遺症

2021年06月09時点での私の後遺症障害です。多少は改善されてきてるとは思います。もっと頑張って全てを治したい!

[ 2021年06月09日後遺症障害 ]

  • 両手の痺れ(痺れがあるだけで出来ないことは無い)
  • 右半身温痛覚障害(右手で炊飯ジャーを誤って触ってしまったが熱さを感じた。右スネをスーパーのカートにぶつけてしまい痛みを感じた。両機能共少しずつ治ってきてる感じがする)
  • 平行感覚障害(屈伸とかが出来はするがしづらい感じがする。眩暈がする。疲れやすい)
  • 高度嚥下障害(嚥下の訓練はもう終了しているのですが、退院してからしゃべると話しづらい感がする時がある。但し、話すこと自体に問題はなく、話しづらい感覚があるだけ)

12:オカルト

この欄では自分の事ではありますが、夢なのか何なのかわかりませんのでオカルトとして読み飛ばしてもらって構いません。ここで話す内容はくも膜下出血後の入院中の話となります。

私がくも膜下出血で入院してから数日後位だと思います。夢なのか何なのかはわかりませんが変わったことがありました。くも膜下出血前にスマホからリモートでPC操作をしていたからかはわかりませんが、急性期病院入院中にスマホ操作で病院から自宅のPCが置いてある部屋に体が移動してました。これが夢なのか現実なのかは当の本人はわかりませんでした。しかも入院中に自分の部屋に行きたいなとスマホからリモートアクセスするだけで自分の部屋に瞬間移動してました。今考えると意味がわかりませんでした。しかしこの体験?を何度もしました。そしてこれ以外にもあります。よくある死後の世界というやつですか?。これに似た体験をしました。恐らく入院した位の時だと思いますが、気づいたら自分の意識は何も無く、痛いとか帰りたいとか感情自体何もなく、ただ真っ暗闇の「無」の世界にいる感じでした。そして突然現実世界に戻され、病室の上にいる状態でした。これが何だったのかはわかりません。ただ感じたのは死んだら何も感じない「無」になるのだと感じさせられました。多分こんなの書いても自分もわからないし、見てる人もわかりませんよね。多分これはわからない方がいいんだと思います。

にほんブログ村 病気ブログ 脳卒中・脳梗塞へにほんブログ村 病気ブログ くも膜下出血へ

2件のコメント

  1. 先日母がくも膜下出血で倒れ、現在SCUで治療中です。幸い意識は回復しておりSCU内でも徐々にリハビリをしている最中です。意識が回復していると言っても、まだ不安定なところが多々るようで不安を感じていました。コロナ禍ということもあり全く中の状況がわからない中、学術的な病気の症状は調べることができても、細かい意識の状態や今後の過程が分からないのがとても不安でしたが、拝読して今後に希望が持てました。御礼までにメッセージさせて頂きました。

  2. 心配ですよね。私も患者側でしたのでそのお気持ちよくわかります。
    仰る通り、ネットで情報収集しますとこの病気は学術的な説明は沢山ありますが、
    それではどうしたらいいのか?とか病気発病からその後の経過までのアドバイス等が圧倒的に
    情報が不足していると思います。
    私も病気が発病して攣縮期間が明けた時にスマホから情報収集しましたがほぼ皆無でした。
    病気を経験した私から確実に言える事は、病気後安定しましたら無理にでも体全体を動かす事を
    お勧めします。仮に身体の感覚などが無くても動かす事で、体の機能が回復する可能性が高いと思います。
    それだけ病気後すぐのリハビリは重要だと思います。まさに人生の分かれ道と言っても過言では無いと
    個人的には思ってますので、これだけはアドバイスさせて頂きます。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です