タイトルの件ですが実はコレ、結構人から聞かれたり聞きたいけど聞けないな~と言うような雰囲気を醸し出される方が多いので書いて見ようと思います。ハッキリ言ってこの辺りは人によっては思い出したく無い人も多数いると思うのでネット上でも書いてる人少ないでしょうね。私が書こうと思った理由は上記の理由もそうですが自分が考えてる以上に誰かに役に立つ可能性があると言う事。そしてカウンセラー等の方にも役立つ可能性もあるのかなと思ったので書いて見ます。一番はこんな記事は「下らないことを書いてるから参考にもならん」と思って貰える方が世の為だとは思ってますが、情報は少ないよりあった方が良いと思うので書いてみます。では自分の場合ですが病気発病当時は朝寝起きでベッドから立ち上がりの際に脳動脈瘤の破裂が起きたようで、この辺りの記憶はよく覚えてます。家族に助けを呼んだ後に救急車の方が部屋に入って来られた位で記憶を失いました。その後は病気発病から何日経過したかもわからない状態である病院で目が覚めました。この時はコイル手術が終わった後で、どうやら記憶が無いのに暴れたらしくベッドに紐で縛り付けれたまま目が覚めました。この時は何が起きてるのか全くわかりませんでした。看護師の方から「くも膜下出血でした。寝て下さい」と言われたのを覚えてます。くも膜下出血のグレードは4位だったと思います。この時の状態ですが「ただ眠い」。それだけです。看護師の方からくも膜下出血ですと言われても「へー。そうなんだ」位の感覚で言葉の意味を理解出来ていなかったと思います。今振り返って見て確実に言える事は頭の回転とかが明らかにおかしかったと自分でも思っています。この状態がくも膜下出血後に発生する攣縮期間が終わる病気後2週間が経過するまでは恐らく頭の回転がおかしかったと思います。具体例で言えば家族が見舞いにきてくれた記憶はあります。でもその時に何故か「ズボンもってきて、仕事行かなきゃ」とか「ここの病院代は自分の貯金から出して」とか意味の分からない事を喋ったのは今でも記憶にあります。これは何故こんな事を自分が喋ったのかもよくわかりません。そして極めつけは部分的な記憶喪失が発生しました。くも膜下出血は結構な頻度で「今まで経験したが無い激痛が走る」と言われるそうです。これは自分でも痛くてきつかったと言うのを覚えてます。厳密に言うと病気後すぐに頭がおかしかった状態の時ですら痛かったと言う記憶があるのに、攣縮期間が終わるまでの間に「痛かった」と言う言葉の記憶は残ってるのに、実際の痛みがどうだったのかと言う痛みの記憶だけが消えました。恐らく私の身体のセーフティモード?が勝手に働き、生命に関わる事だから記憶を消したか改ざんしたのでしょう。よくわかりませんが状況によっては部分的な記憶喪失になると言う事は完全な記憶喪失になってもおかしくなかった訳で、人間死に掛けると今まで経験した事が無いような出来事が起こるようです。話は戻りますが頭がおかしかったと言う期間は病気後、脳梗塞が起きやすい攣縮期間が終わる2週間が過ぎる頃にだんだんと正常に戻ってきました。結論を言うと病気後2週間経過するまでは私の場合は頭の回転は相当おかしかったと思います。以降になってから正常に戻ってきたと言う感じでした。2週間経過した後は恐らく他の患者さんと同じような事を考えていたと思います。これからの生活費、入院費、自分の場合は入院して即会社から首宣言来てました(家族からは相当後になってから話を聞きましたが)ので、この状況を把握してからはベッドから立ちあがる事すら出来ないのに、スマホから求人サイトに登録してそのうち働けるようになったことを想定して求人状況等をずっとチェックしてました。後は最悪の事も考えてお墓とかも見てましたね。頭が正常になればなるほど状況把握が出来るので「相当不味い」と言う事以外頭に無かった記憶があります。恐らく第3者の人が聞いたら「おかしいだろ」と言われる事をしていたと思います。でも当時はまだ頭の回転が良くなかったためか最悪なケースを見据えて色々アレコレやってたと思います。なので私の場合の病気後の心境は、2週間経過するまでは頭がおかしかったけど以降はスマホから色々な情報収集等してました。寝てる事しか出来なかったのでリハビリを除けばコレ位しかしてなかったと思います。一応こんな感じでしたので内容的には恐らくほとんどの方には参考にならないかもね。普通に考えてくも膜下出血と記憶喪失と言う組み合わせは早々無いケースな気もしてはいます。。