先日でくも膜下出血後4年経過しました。長いようで早いと言った感じで日々過ぎている感じがします。
自分の場合は病気発生前日に静岡県の三島大社に参拝に行っていたので今年も行ってきました。個人的な感情論になりますが病気発生当時はコロナ化だった事があり、年明け前に参拝に行ったお陰か参拝後翌日にくも膜下出血発生でも助かったかも知れないと思うと非常に感慨深いです。
人によってそれぞれのドラマがあるのでしょうが、私の場合はこの出来事が人生で最大の出来事でした。
神社でお参りした翌日にくも膜下出血発生とか、ドラマや映画とかでも聞いた事が無いような出来事であり身体の状態も寝たきり、嚥下により飲食不可、いろう状態で立つことも出来ない状態からスタート。リハビリにより器具無しで歩行が出来るようになり、嚥下障害に関しては奇跡的に代理神経が出来たことにより飲食出来るようになりました。
結構な時間が掛かりましたが一時的には社会復帰も出来るようにもなり「這い上がった」と言った感情が非常に強いです。
私の場合はこの状態より下と言うと「死」だと思っているので、改善の可能性がある限りはやれることはやっておきたいのです。
死にかけたと言う感覚、感情、絶望と言う状況を経験すると今でも後遺症がある部位のリハビリを止めようとは思わないんですよねぇ。経験則からくるものなんでしょうが、自分の場合は「諦める」と言う選択肢が無いです。実際に多少ではありますが「身体の変化」が今でもあるので前に進むのみです。
何も出来ない状態から復活すると後遺症のちょっとした程度の変化でも自分の中では「改善の余地がある」と考えちゃうのでリハビリの中止は今でも考えられないです。
自分の頭の中にはくも膜下出血、脳梗塞、脳出血の「傷」があり、さらに言うなら一部記憶喪失もあると言う状態です。身体の状態も最悪状態から考えれば今ではかなり良い状況にはなってますが、まだ改善の余地があるならばやるべきでしょう。
と言うよりこれ以上無いと言う位の状態から這い上がっているので、感情論も手伝ってかリハビリも継続出来てます。この感情論を使って来年も腐らずリハビリを継続したいものです。
今年より来年は「もっと改善」と言う希望を持って来年も頑張りたいです。
こんにちは!
座しているだけでは何も変わらない。
私は令和3年1月1日、15:15 位が発病でした。
だから正月は第2ステージに入った日。
あれから忖度なんぞしないし、やりたい放題に生きている。
登山とかバイクとか、発病前にはやっていなかったこと。
能書きを垂れているだけの方は数多いが、それでハッピィならそれでよし。
やるかやらないかは本人次第、狭い世界でナンバーなんて、面白くもなにもない。
返信遅れてすみません。
あけましておめでとうございます。
元旦に発病、、、大変でしたね。
私の場合は病気前と病気後とでは第一前提が「後悔しないこと」になります。
この前提があるからではありますが、自分も考えるより行動あるのみだと思ってます。
それに大概のことはリカバリー出来ることなので、失敗するより試してみたほうが良いなんて考えてます。
単純に私の性格の問題かも知れませんが、病気後はある意味、価値観や考え方が変わったような気がします。