くも膜下出血の振り返りその1(1年6か月経過)

結構前の記事にくも膜下出血発生から1年6か月を余裕で超えてるので「振り返りを書く」と記事にしてたので未だに書いてなくすみません。。。今回は病気後1年半経過した事をきっかけに私の経験、振り返り、目標等を段階的に少し書いていこうと思います。恐らくと言うより、この病気になった人は相当大変な事であり、ご家族もご本人も相当悩まれると思います。でもこういう事ってネットとかで調べても情報は少なく感じてます。だから書き残しておこうと考えています。この記事を見て少しでも参考になれば幸いです。

1:くも膜下出血最初の難関

くも膜下出血の最初の難関はまずは「生き残る事」です。言葉で書くのは簡単ですがそれが出来ない事も重々承知しておりますが、これは諦めてはいけない事なのです敢えて書いておきます。

まず私の場合ですが朝起きてベッドから立ち上がる瞬間に立てずに転びました。この時に恐らく血管が破裂したんだと思われます。この時は立てず、声も出ず、障害が無い左手は動いたので壁を叩いて家族の助けを呼んで救急車を呼んでもらいました。この時の状況ですが破裂した感覚は全くなく、自分の感想としては「これで死ぬのかも?」と言う発想も無く本当に一瞬の出来事でした。救急車が家に着くころは意識はありましたが自然と目を瞑っていました。救急隊員の方が自分の部屋に来られた事は記憶しているのですが、この後はほぼ記憶はありません。結果論にしかならないですが山に遭難した時、寒い時とか寝たらダメだ!と言う話があるかと思いますが、くも膜下出血も同様だと思われます。意識を失った場合と意識がある場合とでは病気後の後遺症に大きな差が出るようです。だから意識を失わないようにすることが好ましいと思われます。書いておきながら何ですが自分は意識を失いました。自分の場合は運よく?意識が無いのに病院で暴れたらしいです。これが病気後の後遺症にも影響してくれたのかも知れません。ただ、本人の意識が無いのにどうやって暴れたのかも自分自身でもよくわかりません。病院の先生の話では自分のくも膜下出血のグレードは3.5だったらしいです。一応無意識に暴れてたので多少はグレードが良かったのかも知れません。

話を進めます。くも膜下出血を乗り越えるには相当な難関が沢山あります。まず最初は先程書いた病気発生時に「死なない事」。次は病院での手術になります。自分は小脳という所でしたので脳動脈瘤コイル塞栓術と言う手術をして貰いました。手術場所の問題もあり選択肢はコレしかなさそうな感じでした。結果手術は何とか成功したようです。ですがまだ安心はしてられません。次はくも膜下出血特有?の攣縮と言う期間があります。これは病気後2週間位までは脳の血管が収縮する場合があり、これが発生すると脳梗塞になります。結果として私はここで脳梗塞になりました。ここでは不幸中の幸いですが「隠れ脳梗塞」であり、影響無い物でしたので助かりました。一応補足として書いておきますが当時は意識も無いので何をされているのかもわかりません。事後聞いた話を書いてるだけになります。

病気後2週間経過するまでは自分で言うのもおかしいですが自分の頭はおかしかったんだと思います。夢かどうかすらわからないような事象が沢山ありました。これも結果論にしかならないのですが所謂、三途の川に近い状態にいたんだと思います。そこで自分の意思で選択するような事もありました。このあたりは夢とか空想とか人によって色々考え方があるので省きます。何にせよ。2週間生き残れてやっと「緊急事態」から抜け出せる一歩となります。 ※残りは別記事で書きます。

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