くも膜下出血発病から1年と数か月立ちます。やはり相当に考える事は沢山あります。自分の場合も後から聞いた話では生存確率は5分5分と言われてたらしいです。今正常な思考回路で考え直して何度振り返っても怖いの一言です。最初の頃は2週間経過する前後、大体攣縮が終わるかどうか位まで意識は曖昧でした。目が覚めて病院にいることは頭では理解してましたが1日は目が覚めて「眠いから寝る」と言うことをずっと繰り返してました。この時の頭の状態は自分でも本当に眠いから寝る・・・と言う以外は考えられない位の状態で、寝すぎて目が覚めても「また寝よう」と言う感じで1日を過ごしてました。自分は無意識状態だったけど暴れたらしいのでこの間は片手が紐で縛られベッドから身動き出来ない状態で多分2週間位はこのまま過ごしてました。2週間経過するかどうか位になってやっと頭が正常?に動きだしたらしく物事を考えられるようになりました。多分攣縮期間が丁度終わった頃だと思いますが当時は「攣縮」なんて知らなかったんですが、この時に隠れ脳梗塞にもなりました。これは障害は無い脳梗塞で良かったのですが、これも今振り返ると「怖すぎる」の一言です。くも膜下出血自体も危険なのに、さらに攣縮による脳梗塞でも危険状態になる・・・。何度振り返ってくも膜下出血と言う病気は恐ろしい。でもここまではただ単に「生きてた」だけです。次の試練には後遺症があります。この頃は頭がやっと動くようになったのでリハビリも開始で、さらに障害の程度のチェックもされて初めて自分の身体の障害について気づきました。一般論での危険な状態だけ書いておくと飲食する機能が壊れて食べれない。立つことも歩く事も出来ない。座ってても体が左とかに偏る。数分で声が枯れる。右半身の温痛覚が無い等。頭で理解出来るような状態でこれを受け止めた時は障害がありすぎて「死ぬのか?」と本気で思いましたよ。そして次にやった事はこの頃からスマホ持ち込みもOKになったので「自分のお墓」探しをネットで多分1、2週間位はしてましたね。墓を探したのは最後まで家族には迷惑を掛けれないので自分で・・・と言う理由でずっと探してましたよ。だけど攣縮後2週間位経過してからは「生きてるのは生かされてるから、やり残したことがあるから」と勝手に思い、「まだ死ねない。死ぬならやり残しがないよう、後悔しないようになってから」と言う思いに変わり、今に至ります。結果論にしかならないかもですが最初の頃はやはり「死」を意識しますよ。恐らくくも膜下出血というか重体の病状になった人は皆考えるんじゃないかなと思います。何にしても言える事は生きている以上は後悔しないようにするのがモットーになった気がします。勿論人間なので気持ち的に暗くなることも沢山ありますよ。自分は平衡感覚障害が後遺症としてあるので常に眩暈があります。人によっては吐き気が出るほど酷い方もいらっしゃるようですが自分はそこまではないです。でもクラクラ感が常にあるのでどんな時でもくも膜下出血後の後遺症で「普通ではない」と言う認識になっちゃいます。多分第3者から見ると動きが少しおかしいとか、遅いとかがわかるかもですがそこまではおかしく見えないと思います。でも本人からするとこのクラクラ感は普通では無いので恐怖しかないですよ・・・。個人的な偏見では生きてはいるけど振り返るとすぐそこに「死」があると言う感覚に今でも陥ります。これは自分が勝手にそう思ってるだけなんでしょうがどうしてもそう考えちゃうんですよね。だからと言うわけではないですが「常に前向きに前をひたすら歩く、前進する」以外したくないんですよね。脳卒中全般やその他病気にでも言える事だとは思いますがウォーキングとかは一般論的にはした方が良いというのはわかるのですが、ウォーキング(リハビリ)とかを止めてしまうと「前進」してないので体がまた動かくなくなるんじゃないかと言う恐怖に駆られるから自分は「恐怖でリハビリをしている」感じかも知れません。考え方なんて人それぞれですが、ある意味くも膜下出血を発病する確率は低いですが生き残ってある程度日常生活が出来るのも確率は高くは無いと思って、これからも「前進(前向き)」していこうと思います。最後にですが当然病気になんてならない方が良いに決まってますが40歳を超えてから体に異変を感じたら即病院で検査することをお勧めしておきます。経験者談&病院での医師の方の意見!です。

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